ずぶ濡れのあいらぶゆーー!!

不器用な僕なりに君に全てをあげる

優秀病棟 素通り科

 

久々に文章を書きたくなったので書いているんですけど、なんで書きたくなったかって1月に配信で観た山田JAPANさんの「優秀病棟 素通り科」についてどうしても残しておきたかったからである(笑)

本当にこの話が自分の中で結構な衝撃で出逢えてよかったと本当に思える作品で、配信でしか観れなかったことを未だに後悔しているレベル(笑)

 

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嘘みたいに馬鹿げた出会い 自らこの世を去ろうとする男と、不運に不運が重なる初老の女

STORY
切り花を輸入する貿易会社に勤める飯塚哲人は、今、空に浮いている。人がどこにも繋がらず空に浮くのは、人生において最多でも一回だけ。そう、彼は自らこの世を去ろうとしていた...その矢先、突然かすかな丸みと共に、ガバ!っと抱きかかえられる感覚を覚える。なんか...キャッチされた...。キャッチしたのは、やたらと人の事情に介入したがる中年女性・喜久枝。不思議な縁は転がり、哲人は悲惨な道のりを歩んできた喜久枝の人生を知ることに。一方、充実した人生を送り、周囲からも愛されているようにしか見えない哲人は、なぜそんな決断をするに至ったのか...?

摩訶不思議な逆転現象 しかしそれは、現実でもままあることかもしれない。

優秀病棟 素通り科 | 山田ジャパン

下北沢 本田劇場 2021/01/20 - 2021/01/27

 

物語内でもあったんですが、本当にただの一般論で言えば、政府からの給付金がないと生きていけないレベルのカツカツさなのに給付金を貰うことすら出来ず家庭崩壊もしかかっている喜久枝(いとうあさこ)が自死を選んでそれを会社も家庭も何もかもが順風満帆でかるーく世の中の幸せ平均値を超えているような飯島(ふぉ〜ゆ〜 福田悠太)が助かるんだろうけどそうじゃなくて、全くその逆をするっていうところでまず心を奪われた。喜久枝自体の生命力と生きていく上で側から見れば凄く苦しいことも"普通"と思って笑って生きていける強さに本当にガツンと頭を殴られたような気がしていた。

もちろんそんな風に生きて行ける人が全てではないんだけど「幸せのバリエーションなめんな」って放った喜久枝がかっこよすぎてその通りだなって。どんな小さな出来事であれ、幸せになれるはずなのに他人と何かを比べで卑下して私たちはその幸せに気付かずに自分は不幸だと思って生きている。そんな人が喜久枝みたいに強く生きていこうなんてちゃんちゃら可笑しな話だ。

その上さらに喜久枝が現代人が避けて通ってきている "他人と関わる" ことを積極的にしている。

目の前に落ちてきてきた(見ず知らずの)飯島が自死をまた選んでしまうのが嫌だからというお節介だけで飯島の死の原因を特定しようとするなんてなんという他人への関わり方なの?!って思っていたところ劇中でもバーテンさんが「他人と関わると厄介ごとが増えるじゃないですか?」って言ってくれたので、あぁ一般論はやはり他人と関わらないが正解だよねって思わせられるし、やはり飯島も土足で自分に踏み込む喜久枝のことを初めはこれっぽっちも受け入れてはいない。自分のことすらままならない私らは喜久枝のように他人と関わっている場合ではないのだ。でも、自分のことでいっぱいなはずの喜久枝は飯島にちゃんと関わるし他人と関わることで見出してる景色もあるからすごいなぁって思う。

 

私はどちらかというと飯島に感情移入してしまうけれどもこの人って会社でも家でも嫌われるのが怖くて自分を沢山取り繕ってうまく立ち回って自分の思い通りにことを無意識に進めていけるある意味頭のいい人で、喜久枝が家族を想えたり人を想えたりする反面、飯島は自分主義で自分以外の想えない人なんじゃないかと思ってしまった。

その理由として「理由のない行動が怖い」飯島を見たからなんだけど、彼の行動には全て意味があってその行動は人に嫌われないための行動で、だからこそ自分の死の理由が分かった瞬間の生き生きさに繋がるんだろうなって思うのです。

そして飯島の「幸せのピークだから死ぬんです!窮屈で息苦しい世界がやってくるから!幸せが大きいほど失うのが怖いんだ。謎の死の理由は言葉に言い表せない不安だ!」っての共感しちゃいけないんだろうけど物凄く共感で、今が人生のピークだなんて思ってもないけど、このなんとなーく生きていける空気を下回る瞬間、人生が窮屈で嫌になってそれを考えると怖くて、今の地位やこのなんとなーくの空気を失うのが怖い気持ちわかっちゃう。

自分の人生は自分だけのもので、自分のことは自分で見積もるっていう飯島の気持ちによっていたから喜久枝に「どの時間にもあなたの知らないあなたの時間が流れてる」って言われた時に、ハッとして、自分のことを想ってくれている人が自分に対して時間を使ってくれていることを忘れちゃいけないし1人なんて絶対思っちゃダメという当たり前のことに気付かされた。辛くても幸せでもどんな世界が待っていても笑って生きていかなくちゃダメなんだっと。

そして最後に千穐楽公演で福ちゃんが言った言葉「話が来た時からこれは運命になるなって思ってて、普通は運命って後から運命だったなぁって振り返るけどこの舞台は運命の只中に居るなって思いながらお芝居できて呼んでもらえてよかった」この言葉を聞いて運命の只中にいる人の芝居を感じれることなんてないなって思って、だからこそこんなにも伝わってくるものがあるんだろうなって思い、凄い胸が苦しくなった。その言葉も含めてこの作品が忘れられないものになりました。